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TOKYO
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幕藩体制確立期の江戸:東京の川の歴史




慶長19(1614)年、大阪夏の陣において豊臣氏が滅亡し、その2年後の元和2(1616)年には、家康が死亡しました。こうして、徳川幕府の時代は黎明期から興隆期へと入っていきます。

秀忠から家光へと続くこの時代において、江戸の改造は規模を拡大しながら続けられました。隅田川右岸の埋立が進み、広大な土地が現出したのに伴い、町人町が飛躍的に発展するようになります。海岸線もほぼ今日に近づいた形になってきます。

河川については、神田台の切り崩しが続けられ、平川の流れを隅田川へと結びつける流路変更が行われました。このころ、石神井川も現在と同じような流れに変ったと思われます。

江戸城の築城も大規模に続けられました。本丸を中心として、何重にも堀が巡らされ、最外郭には、神田川をとりこみ、四谷、溜池から汐留川に至る外堀が完成しました。寛永13(1636)年のことです。

この外堀には要所に枡形門が設けられ、江戸城の防備のためと、人の出入りの監視に用いられました。俗に江戸36見附と言われるものです。西洋諸都市における城門のようなものでしょう。




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