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日本堤
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| かつて吉原の北側には石神井川の分流山谷堀が流れていました この堀がたびたび洪水を引き起こすというので 待乳山を切り崩した 土を以て埋め立て堤を築き それを日本堤と名づけました 土手の長さが八丁(約800メートル)あったところから 土手八丁とも呼ばれました かつての日本堤の様子については 永井荷風が小説「墨東綺譚」の中で描いています
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土手通り大門の向かい側に古い料理屋が二軒並んで立っています 一軒は桜鍋で有名な中江(手前)もう一軒は天丼のいせやです 中江は明治38年創業という古い店 いせやは「土手の伊勢屋」の愛称で知られ 開店の1時間前から行列ができるほどの人気といいます |
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日本堤1丁目 土手通りを一本裏側に入った路地に 廿世紀浴場という変わった名の銭湯があります 建物の様子が時代がかっていますね |
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土手通りの北のはずれは三ノ輪の一角に 投げ込み寺で知られる浄閑寺がたたずんでいます 吉原の遊女が多数葬られたところとして 悲しい歴史に彩られている寺です かつての遊女たちは過酷な人生を送り 三十前に死ぬものが多かったといいますが その彼女らの生涯を哀れんで 「生きては苦界 死しては浄閑寺」という言葉が生まれました |
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境内の一隅に置かれた無縁塚 遊女たちの霊を合祀したものです |
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こちらは比翼塚 遊女の中には惚れた男と添えられない悲しみに 打ちひしがれたものも多かったことでしょう |
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寺の裏側にある墓地の一角に 永井荷風の碑が建てられています 荷風は浄閑寺をたびたび訪れ 遊女たちの運命に思いを寄せました その余り 自分のなきがらも遊女たちに混じってここに埋めてほしいと 遺言しているほどです |
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