東京年中行事

亀戸天神の藤


古来日本人は、藤の花をこよなく愛でてきました
日本の山野に自生するこの植物は ほのかに匂う薄紫の花房が人の目を喜ばし
また蔓の皮は衣料や手回り品の材料とされてきました

藤の花が深く愛されたのは 花房の形状もさることながら
紫の淡い色合いに発したものだと思われます 紫ほど日本人の好みに
合した色はなく あかねがかった深い色合いから青みがかったすずしい
色合いまで その様々な色相において 人の情緒に訴えてきました
紫を主題にした歌に 大海人皇子の詠んだ次の一首があります

 紫の匂へる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに我恋ひめやも

ここでいわれている紫は直接には紫草をさしているのですが
紫によって恋の感情を暗喩することは 藤の花にもよく用いられ
万葉集にもそのような歌がいくつかみられます

 恋しければ形見にせむと我がやどに 植ゑし藤波今咲きにけり
 霍公鳥来鳴き響もす岡辺なる 藤波見には君は来じとや

いづれの歌にも 人を恋うるの情がすなおに描出されています
マメ科のつる性植物たる藤を棚に這わせて 咲き広がる花房を見上げる風習が
いつの頃から始まったか 小生は詳らかにしませんが 徳川時代の半ばには
広く行われていたようです 江戸では亀戸天神の藤がことのほか名高く
藤といえば天神が連想されるほどでした 蜀山人はじめ多くの文人墨客も
亀戸の藤を訪ね 明治以降になっても 病身の子規が人力車に乗せられて
見物に赴くなど 深く愛されていました

亀戸天神の藤は 今でも都下随一の名物として 多くの人々を引き寄せ
東京の初夏を彩る風物詩となっています





亀戸天神の創建は寛文2年(1662) 道真公の末裔菅原信祐が九州大宰府の
天満宮を勧請したのが始まりです 神殿や楼門、太鼓橋など みな大宰府に
ならって造営したとされます 天神といえば梅がつきものですが
亀戸天神では創建の頃 すでに藤が植えられました


藤棚は心字池の周囲に密度高く設けられ
棚の天井から おびただしい数の花房が垂れ下がります


藤の花を詠んだ歌は数限りなくありますが
最も人の心を打つものに 子規が病床で詠んだ連作があげられます
 
         瓶にさす藤の花房短かければ 畳のうへにとどかざりけり
         藤なみの花をし見れば紫の絵の具取り出で写さんと思ふ
         藤なみの花の紫絵にかかばこき紫にかくべかりけり
         瓶にさす藤の花ぶさ花垂れて病の床に春暮れんとす
         去年の春亀戸に藤を見しことを今藤を見て思ひ出でつも
         くれなゐの牡丹の花にさきだちて藤の紫咲きいでにけり
         この藤は早く咲きたり亀戸の藤咲かまくは十日まり後
         八入折りの酒にひたせばしをれたる藤なみの花よみがへり咲く


心字池をまたぐ太鼓橋は 創建の頃木橋として架けられたのが始まりで
広重の浮世絵にも描かれています
現在のものは 平成に入ってから架けられたもので コンクリート製です


亀戸天神といえば 藤と並んで亀が売り物
また 学業成就を祈願した絵馬が折り重なってかけられていました

関連サイト:亀戸・柳島 亀戸天神祭 湯島天神








 広重画「亀戸天神境内」


亀戸駅周辺亀戸の寺社柳島亀戸天神

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