山王祭ー日本橋京橋連合渡御(1)

東京の祭









徳川時代初期の江戸市街地形成過程において 日本橋周辺には商業機能が
集積し 江戸の経済活動の中心地として発展していきます
したがってこの地域には財力豊かな商人が多く 華美な祭を財政的に支えていました
日本橋一帯は 日本橋川を挟んで 北側は神田神社 南側は日枝神社の
氏子区域に組み込まれましたが 双方の祭において主役を務めたのは
日本橋の町人だったといわれています

今日の山王祭は かつてのような規模の大きさや華美さを有さず
また氏子区域が広大すぎるために 全体共通の行事もなくなりましたが
日本橋とそれに隣接する京橋の各町会では 平成十八年に始めての試みとして
中央通りを舞台に 九基の神輿による連合渡御を実施しました

(取材2006年6月11日)




神幸祭に続き この日も雨になりましたが 
各町の神輿は 中央通り京橋南端の警察博物館前に集結し 
十時丁度に日本橋方面に向け 行進を始めました 


先頭は檜物町(現在の八重洲一丁目)の神輿がつとめました
明治43年に製作されたもので
町神輿としては最も大きなもののひとつです


小生は京橋交差点の一角に足場を求め 
次々と過ぎていく神輿を取材しましたが
大粒の雨に焦点があってしまい なかなかいい写真がとれません


この日披露された九基の神輿は いづれも普段は
日枝神社の神輿倉に格納されているとのことです


しんがりをつとめた姐様衆は そろいの浴衣に
思い思いの雨傘をかざしていました








神幸祭:   
日本橋・京橋連合渡御:  

 東京を描く東京の祭山王祭次のページへ