学海先生の明治維新
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学海先生の明治維新その四十一


 英策と一緒に佐倉の祭を見て、学海先生と言葉を交わしたその数日後、小生はあかりさんと北八ヶ岳方面にハイキングした。ハイキングと言っても北八ヶ岳は二千メートルを超える山岳地帯なのでちょっとした登山だ。だから一応登山用の服装をして行った。ニッカーボッカーに皮の登山靴といったいでたちだ。茅野からアプローチし、西側から登って白駒池に一泊し、小海線方面へ下る計画を立てた。
 早朝新宿駅の南口で落ち合い、八時発のあずさ号に乗った。座席に腰かけるとあかりさんは、
「八時ちょうどのあずさ号なんてロマンチックね」と言った。
 小生は小生であかりさんと二人きりで泊りがけのハイキングができることに有頂天になっていた。山小屋で二人きりの夜を明かすなんて夢のようだ。この機会を生かして彼女を裸で抱きしめたい。それには粗忽に振る舞って拒絶されないように気をつけねばならない。そんな思いが交錯して気分が浮き浮きしていた。
「あなた、とてもうれしそうね」とそんな小生の様子を見ながらあかりさんが言った。
「ああ、君と一緒に旅ができるなんて思いもよらなかったから、うれしいのさ」
「あなたのそのうれしがりよう、初めての遠足に浮かれている子どもみたいだわ」
「ああ、初めて遠足をしたときに、お弁当がとてもおいしかったことを思い出すよ。ところで、お昼のお弁当は持ってきたのかい?」
「ええ、あなたの分もあるわ」
「それじゃ重いだろう。僕のリュックに入れておこう」
 そう言って小生はあかりさんから弁当の包みを受け取って自分のリュックにしまったのだった。
 十時半ごろ茅野に着いた。そこからバスに乗って奥蓼科の渋の湯で降りた。周囲一帯に硫黄の匂いが立ち込め、古びた温泉宿が二軒あった。我々はその一軒に入って缶ビールを買い求め、あかりさんの作った弁当を二人で食った。握り飯が二つづつと、漬物、サラダだ。
 食後旅館の先から山道に入った。道は森林に覆われ鬱蒼とするうちにも、木々の葉が黄色や赤に色づいて秋の深まりを感じさせた。十月も半ばを過ぎて登山シーズンも終わりなのだろう、途中行き交う人の姿はあまりなかった。
 渓流に沿って岩や土の歩きづらい道を歩く。下りてくる人達数人とすれ違った。
「これからどちらへ?」と聞かれたので
「峠を越えて白駒池に行くつもりです。そこの山小屋で泊まり、明日は稲子湯の方へ下りていく予定です」と答えると、
「それは楽しみですね。山道の状態は悪くありません。あとは天気だけですね。お気をつけて」と言って過ぎ去っていった。
 やがて賽の河原なるところに出ると、岩石突兀たる風景に変わった。極めて歩きづらい。この頃からはもはや山を行く人に出会うこともなくなった。
 あかりさんを気づかいながら一歩一歩踏みしめて上っていくうち、具合悪く雨が降って来た。我々はリュックから合羽を取り出して着た。ビニール製の粗末な合羽だが雨を防ぐに多少の効果はあるだろう。
 高見石なる峠の地点に着いた頃には雨の降り方が激しくなって、合羽の隙間から体に雨水がしみ込んで来る。これはまずいと思いながら先を急いだ。早めに山小屋に着かないと、びしょ濡れになって風邪を引かないとも限らない。森林に遮られて展望の利かない山道をすべるようにして下りて行った。
 そんなわけで白駒池の畔に着いた時には、安堵の余りにあかりさんに向かって、謡曲の節回しで、
  急ぎ候程にはや白駒池に着きて候    
と呼びかけたのだった。あかりさんはしかし全身が濡れた状態では、とてもそれを笑い飛ばす余裕はないように見えた。
 我々は山荘の個室に案内されるとすぐに、着ているものをすべて脱いで暖房用スチームの周りに並べて干し、自分たちは一糸まとわぬ姿になった。小生はどうしたらこの旅行中にあかりさんを裸にさせることができるか、先日からずっと思い悩んできたのだったが、偶然の賜物もあって意外とあっさり、こうして二人とも素裸のまま見つめあうことができる次第とあいなったのであった。
 二人とも濡れた体を互いにタオルで拭きあい、布団を敷いて一緒に潜り込んだ。その後どのような時間が流れたか、それは多言を要しないと思う。ただひとつ、いよいよという時になって、背後から学海先生に見られているのではないかと不安になり、後ろを振り返ったことを告白しておきたい。
 夕方食事に呼ばれて食堂に行った。下着も服もまだ半乾きのままだった。席につくやあかりさんは茶目っ気な表情を小生に向け、付近にいる一婦人を目線で指さしながらこう言うのだった。
「あの人から、ご苦労様でしたと言われたわ」
「そうかい」
「ご苦労様の意味が深長なのよ。あれをしているところを聞かれちゃったみたいなの」
「そういうことなのか」
 あかりさんの言葉にこう答えながら小生は、あかりさんがあの最中に声を立てる傾向のあることに思い当たったのだった。
 あかりさんは更に続けて、
「下半身をほてらせながら食事をするなんて変な気分ね」と言った。
「まだほてっているのかい?」
「だっていったん開いたものはそう簡単には閉じないものよ」
「そういうものかね。僕の倅はもうおとなしくなっているよ」
 食後しばらくして二人で風呂に入りに行った。風呂と言ってもドラム缶のようなものに湯をたたえただけの粗末なもので、二人一緒に湯につかると湯の大部分がこぼれてしまう。そこであかりさんが湯に浸かっている間小生は、湯船の端に腰をかけて湯がこぼれないように気を遣わねばならなかった。
 湯に浸かって頭を出しているあかりさんの目の前に、小生のあの部分がさらされる形になった。あかりさんは小生の陰茎を右手の指で軽くつまみ上げた。すると小生の陰茎は俄然勃起した。
 あかりさんは次に小生の陰嚢を両手で弄び始めた。いかにも楽しそうにである。
「あなたの嚢って随分垂れ下がっているのね」
「嚢が垂れ下がっているのは、男として勇気のある証拠だと、たしか南方熊楠の本で読んだことがあるよ」
「じゃ、あなたには勇気があるってこと?」
「ああ、少なくても自分ではそう思いたいね」
「あなたは子どもの頃から嚢が垂れ下がっていたものね」
「子どもの頃の僕の嚢を君は見たことがあるのかい?」
「ほら運動会の時にみんな膝を立てて座るじゃない? 昔の男の子はだぶだぶのトランクスをはいてその上にショートパンツをはいているもんだから、そういう姿勢をとるとパンツの間からおちんちんが丸見えになるのよね。あなたのおちんちんは並みのサイズだったけれど、嚢だけは人一倍大きかったわ」
「へえ、そんなところを見られていたのか。君も隅に置けないね。でもあの頃はみな天真爛漫だったよね。女の子だって、教室のなかで裸になって水着に着替えていたじゃないか。ぼくはませた子だったから、女の子の股の裂け目に注目していたもんだよ」
「あら、いやだ。まさか私のことも見たなんて言わないでしょうね?」
「君のあれを見た記憶はないよ」
「ねえ、おちんちんがこんなに大きくなってきたわ」
 あかりさんはそう言って小生の勃起した男根をしみじみと眺めた。
「まだ君を喜ばせてあげられるようだね」
「じゃ、部屋に戻ったら早速喜ばせて欲しいわ」
 こんな会話を交わした我々は、部屋に戻るとすぐに抱き合ったのだった。
 あかりさんは実に豊満な体つきをしていた。背丈が普通の女性より高いうえに、ボディラインもゆったりとしていた。肉づきがよいのだ。肥っているとまでは言わないが、全体に脂肪が乗っていた。乳房は大きく膨らんでいて、両手で握ると風船玉のような弾力が感じられた。四肢とも肉づきがよく、腕などは小生のそれよりも太いくらいだった。それゆえあかりさんと抱き合うと、小生が彼女を抱いているというより、彼女が小生を抱いている、つまり小生が彼女に抱かれているといった風情になるのだった。
 女が男を抱くと言うのは、母子の関係でなければ、観音様の慈悲を思わせるような関係ではないか。小生はそんな風に思いながら、彼女の胸に抱きしめられるのである。
 あかりさんの胸に抱きしめられると、小生はまだ小さな子どもの頃を思い出すのだった。小生は母親から抱かれたことはほとんどないのだが、一度だけ強く抱きしめられたことがある。その時には母親の抱き締め方が荒々しくて苦しいと感じる一方、得もいわれぬ恍惚を感じたものであった。
 こんなことを言うと、小生はいわゆるマザコンの輩であって、そのマザコンをあかりさんに向けて発散しているように聞こえるかもしれない。たしかにそういう面はあるかもしれない。だがそればかりではない。マザコンはメンタルなものだが、小生のあかりさんに対する感情には極めてフィジカルな要素が強かったのである。つまり小生はあかりさんとの間で、精神的な結びつきを超えて、肉体的な結びつき、肉の一体化を求めていたのである。だからこの夜、あかりさんの肉体の内部深く小生の肉体の一部が進入した時には、小生は無上の恍惚ととろけるような快楽に包まれたのである。




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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2018
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