イタリア紀行
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イタリア紀行その五:ポポロ広場、テーヴェレ川


(ポポロ門)

九月廿七日(日)快晴。朝食後、九時にホテルを辞す。昨日同様チェルナイア通りを歩みてマイバスに至り、眼鏡屋の所在を聞く。老眼鏡を買はんためなり。テルミニ駅ビル内にありと言ふ。

レプブリカ駅より、地下鉄に乗る。ここも地下きわめて深し。蓋し遺跡を避くるためならむ。地下鉄車両は左側通行、自動車とは逆なり。

テルミニ駅にて下車し、駅地下ショッピングセンター内の眼鏡屋オプティッシマにて老眼鏡を買ふ。会話は英語を以てす。値十九ユーロ九十サンチームなり。

再び地下鉄に乗り、フラミニオ駅にて下車。地上に出れば眼前に巨大な門を見る。すなはちポポロ門なり。古代よりローマの正門として対外遠征も凱旋帰国もこの門を通じて行はれたり。またゲーテが始めてローマを訪れたる時にもこの門をくぐって城内に入りたり。その折のゲーテの言葉に曰く、やうやくにしてポルタ・デル・ポポロにたどり着き始めてローマに到着すとの核心を得たりと。かのシェリーとキーツもこの門をくぐってローマ市内に入りしと言ふ。


(ポポロ広場)

ポポロ門をくぐればポポロ広場、正面に左右対称の寺院あり、左側をサンタ・マリア・イン・モンテサント教会、右側をサンタ・マリア・ディ・ミラコーリ教会と言ふ。建築家カルロ・ライナルディ相似形に設計したるなり。イタリア人はフランス人同様幾何学的美意識にこだはるなり。


(ピンチョの丘)

広場の中心にはオベリスク立ち、その左手にピンチョの丘聳ゆ。丘の上には石造のテラスありてそこよりローマ市街の展望を得るなり。またテラスの前面に巨大な石像を背景にせる泉あり。まさにローマの玄関に相応しき景観と言ふべし。


(ピンチョの丘よりローマ市街を展望)

ピンチョの丘に上りローマの町を見下ろす。前方はるか先にサンピエトロ寺院のドーム見ゆ、その先の壁はバチカンの外壁なるべし。なほ広場に立つオベリスクは紀元前十二世紀にエジプトにて作られしものにて、十六世紀末ローマを訪問せる巡礼者の目印としてこの広場に移されたりと言ふ。


(コルソ通り)

相似形の教会に挟まれたるコルソ通りを歩む。シックな外観の通りにして車の通行を許さず。歩行者は気兼ねなく散策を楽しむことを得るなり。通りの両側には石畳の歩道いくつも口をあけてあり、その奥を覗けば幽邃なる雰囲気漂ひたり。


(カヴール橋よりテーヴェレ川を望む)

ゲーテ記念館の先を右に曲がればカヴール橋あり。カヴールは統一イタリアの初代首相にて日本の伊藤博文に相当する人物なり。橋よりテーヴェレ川を見下ろし、アウグストゥスの墓を見る。テーヴェレ川は幅百米ほどにてパリのセーヌ川に比すれば景観に劣るといへど架けられたる橋にはそれぞれ見所あるが如し。その殆どは石造の眼鏡橋にて、隅田川に架かる鉄製の無様な橋よりもはるかに情緒に富めり。





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