四方山話に興じる男たち
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おのれの半生を語る:新橋古今亭にて


先日四方山話の会の連中と新年会をやった時、それぞれ自分の生きてきた半生について語ることにしようということになり、筆者がその先陣を仰せつかる事となった。そこで、なにを話すかあらかじめ準備して席に臨んだ次第だった。会場は新橋の烏森神社の隣にある古今亭という料理屋、この界隈で明治の頃から鳥料理を出している老舗ということだ。今夕のメンバーは筆者のほか、福、石、浦、岩、田、柳それに七谷の諸子。前回のメンバーから二人が抜けて一人が加わった勘定だ。

メンバーが揃ったところで乾杯する。その場で、この界隈の風景を水彩で描いたもののコピーを皆に配った。十年前に描いたものなので、今の風景とは若干異なるが、大筋の雰囲気は変わらない。それを店の女中にも見せてやったら、なかなかいい雰囲気が出ていますね、などとお世辞を言い、女将さんにも見せて差し上げますという。会の連中は、女が色っぽく描かれているとか、動物が猫ともネズミとも見分けがつかないなどと、勝手に冷やかしを入れる。

喉が潤ったところで、筆者がおのれの半生について語った。卒業してから今現在の時点までが対象だから、自づからどんな仕事をしてきたかという話になる。筆者が役人をしていたことはみな知っているので、どうせたいした半生ではなかっただろうと思っているに違いない。実際そのとおりで、筆者には人に語るに値するような波乱の半生などとは縁がなかったのだ。仕事らしい仕事もせず、細く長く生きてきた、ただそれだけのことである。今は世の中から隠遁して、悠々自適の余生を送りながら、旅をしたりブログの記事を書いたりして時間を潰している。そう言ったところ石子が口を挟んで、お前のブログには内田樹の書評が多いが、内田の本を大分読んでいるようだなと言う。ああ、内田の本は村上春樹論とか、最近ではレヴィナス論とかを読んだ。レヴィナスというのは面白い男で、内田によるとどうも「神は女である」と主張しているそうだ。

村上春樹の名前が出ると福子が口を挟んで、清子の村上春樹論は読んだかい、と聞く。ああ、読んだよと筆者は答える。清子は村上春樹をニーチェと結びつけて解釈していたが、清子のニーチェ理解はサルトル経由のものらしいな。いづれにせよ、村上についてどんな読み方をしようが、それは読者の勝手だと村上自身が言っているから、清子のような読み方もありうるんだろうよ。そう言うと福子はカバンからパンフレットを取り出して、これはさる劇団の東京公演のパンフレットで、清子から是非見て欲しいと連絡があったんだ、と続ける。パンフレットには作家の高橋源一郎が推薦文を載せていたが、清子はこの劇団を通して高橋や内田樹ともつながりがあるらしい。

今宵は七谷子が加わったとあって、彼らの中欧旅行が改めて話題になった。この旅行は彼がもっぱら企画したもので、コンセプトはナチスドイツに設定したそうだ。道理でミュンヘンのダッハウ収容所を皮切りにして、ニュルンベルグ、ドレスデン、プラハ、クラカウのアウシュビッツ収容所といった具合にナチスに関連のある所ばかりを選んで歩いたわけである。

七谷子は大学で現代ドイツ史を教えていたということもあり、ドイツには強い関心を持っているらしい。そこでジャーナリストの田子が、ドイツの今後をどのように考えているか、と七谷子に聞いた。七谷子は、ドイツではナショナリズムの高まりが見られるが、EUからの脱退は無いでしょうという。筆者もその意見には同意だ。ドイツは日本と違って、近隣諸国と深く結びつくべき動機がある。戦後の歩み方が日本とは大分違っていたが、それは日本とドイツとでは国際環境が根本的に異なっていたためだ、と日独比較論のようなものをぶち上げたところ、その議論が皆にも伝染して、ちょっとした討論会のような様相を呈するに至った。

ジャーナリストといえば、浦子もその端くれだが、こちらは営業畑が長かったという。記者のほうは過酷な労働環境で骨身を惜しんで働かされ、取材のために必要な経費も自腹だが、営業のほうは、快適な労働環境で毎日をゆったりと過ごし、豊富な交際費をあてがわれて大分いい思いもしたという。どれくらいの交際費を貰っていたのかねとたずねると、部下の分を含め月額三百万円という答えが返ってきた。筆者などには全く縁のない話だ。

日本のメディアが話題になったところで、筆者は日本のジャーナリストをちょっと批判してやった。日本のジャーナリズムの国際評価はいまや先進国中最低だが、それはジャーナリストが権力に迎合的であるばかりか、その記事が全く論理的でないことにも理由がある。日本の記者は出来事を単に羅列するだけで、それらから帰納的な手続きを通して理論化するという能力に著しく欠けている。だから言うことに説得力がない。そんなことを言ったら、田子の気分を害したらしく、小言めいたことを返された。

ところで話は変わるが、この店はだれの馴染みなのかね、と聞いたところ、岩子が以前から贔屓にしているのだそうだ。この集まりも当初はもっぱらここで行っていた。雰囲気がよいからだという。今宵も低予算で四時間近く粘って嫌な顔をされなかった。次回もここで行うこととし、その場では柳子に半生を語ってもらうこととしよう。その柳子は、八丁堀では一座の空気を支配するほど勢いがあったが、今宵は何故か大人しかった。

店を出る時、四代目の女将に声をかけられた。あの絵がなかなかいいと言う。絵のなかの「ほさか」という店とは懇意にしていますので、そちらにも是非お見せしたいと思います、と。店を出ると、石子の姿が目を引いた。1930年代のアメリカのギャング映画に出て来る格好によく似ているのだ。それで、ジェームズ・キャグニーみたいだな、と言ってやった。

その後、浦子が贔屓にしている近所のバー(千賀)に赴き、ビールと電気ブランを飲んだ。電気ブランは浅草の神谷バーのものとは違って、ブランデーベースではなく、ジンの匂いがした。ここで浦、石、岩の諸子と話し込んだおかげで、私鉄の終電を逃してしまった。


(新橋烏森神社前の路地を描いた水彩画)



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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2016
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