四方山話に興じる男たち
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イーストサイド・ギャラリー、西ベルリン:独逸四方山紀行



(イーストサイド・ギャラリーの壁画)

六月廿二日(木)半陰半晴。六時前に起床してシャワーを浴び洗髪をなして後、昨日の日記を整理す。その後リヴィングルームにて、昨日までの朝食の残り物やら、谷子が昨日買い求めし果物を食ふ。しかして室内の清掃を行ひ、八時過アパルトメントを辞す。室料の清算は後日カードを以てなすべしとなん。

ゼーネフェルダープラッツより地下鉄に乗り、アレクサンダープラッツを経由してハウプトバーンホフに至る。荷物を預託せんとしてコインロッカーを探すに、片隅の人目につかざるところにあり。ここにてドイツ人の集団にあふ。団体旅行客の如し。彼らもまた余ら同様コインロッカーに荷物を預けてベルリン見物に繰り出すものの如し。

再び地下鉄に乗り、オスト駅にて下車。ここよりワルシャーヴァー・シュトラーセに至る間の一キロ余り、東西ドイツを隔てたる壁の遺構あり。その壁に多くの壁画施されてあり。東西統合後、壁による分断を記念して、ベルリン市当局が壁アーティストを公募して描かしめたるなりといふ。その壁画の展示を称してイーストサイド・ギャラリーといふ由なり。

奇抜なものやら風刺的なものなど色とりどりなり。上の絵は、人間の分断を図る世界中の壁の存在に異議を唱へたるもののやうにて、詞書には「多くの壁が破壊に価する」と書かれ、またドナルド・トランプを罵倒する言葉も書き込まれてあり。こちらは後日別の者が書き加へたるものの如し。



圧巻はブレジネフとホーネッカーの接吻を描きたるものなり。この図柄、今日トランプとプーチンの接吻を描きたる世界中無数の作品の原イメージとなりしこと、先述のとほりなり。ロシア語による詞書には「この死の愛のただなかに」とあり。



イーストサイド・ギャラリーの尽きたるところに、一のレンガ製の橋シュプレー川に架けられてあり。その形状よりしてロンドンのタワーブリッジを想起せしむれど、跳ね橋にはあらず。

ワルシャーヴァー・シュトラーセよりトラムに乗り、環状道路(東京の不忍通りのやうなるもの)を半周して、ハウプトバーンホフに至る。途中窓よりベルリン市街を見物するに、古風の建物と今風の建物混在し、独特の景観をかもし出してあり。



ハウプトバーンホフは東西統合後に建設せられ、新ドイツの象徴の如きものといふなれど、いまだ周辺部の開発進まず。辺地の駅の如し。されど二一世紀以降は確実にドイツ鉄道網の中核を担ふこととなるべし。

駅構外にて警察官のパトロール光景を見る。三人の屈強なる警官、一の貧相なる男を捕まへて職務質問をなす。男はホームレスのやうなり。公衆の面前にて醜態をさらすは国家の恥なれば、早々に立ち去れ、と言ひをるやうに聞こえたり。さういへば、ベルリンに来て以来物乞いの姿をしばしば目にしたり。東京にてはたへて見られぬ光景なり。



ハウプトバーンホフより地下鉄に乗り、ツォーロギシャー・ガルテン(動物園)駅にて下車。カイザーウィルへルム教会を見物す。この教会、第二次大戦末期の空襲にて上部を破壊されしが、完全復旧せずになるべく破壊の後をとどめをる由なり。連合軍によるヴァンダリズムの証拠としての意義を持たされをるやうなり。今や教会としての機能を果たし得ざれば、敷地内に別に建物を建て、そこにて教会の機能を果たしをる由なり。



これは、外壁の様子を写せしもの。壁の至るところに弾痕が残りをるなり。



また、これは新教会内部の様子を写せしもの。巨大なるキリスト像を中心にして、厳粛なる空間を演出してあり。

更に歩みてケーテ・コルヴィッツ美術館に至る。ケーテ・コルヴィッツの旧居跡といひ、コルヴィッツプラッツといひ、コルヴィッツへの関心は谷子のこだはりなり。館内、主として彫刻を中心に、ケーテ・コルヴィッツの業績を紹介展示してあり。なほケーテとは、女史名カテリーナの愛称なり。


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