四方山話に興じる男たち
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アレクサンダー・プラッツ、博物館島:独逸四方山紀行



(ベルリンにて浦子が用意せる朝食)

六月二十日(火)晴れて溽暑甚だし。六時頃起床するに夜すでに白みたり。昨夜は十一時頃まで薄暮の如くなれば、ベルリンの夏の夜の短きを知るべし。七時頃、浦子の手づから作りし朝食をふるまはる。材料は昨夜のうちに近くのスーパーにて買ひおきしものなり。ドイツパンに生ハムと果物の組み合はせなり。牛乳を飲みつつ食せり。食後の後片付けは余と岩子これを担当す。



八時半頃アパルトメントを出で、歩みてローザ・ルクセンブルグ広場に至る。道路上にローザの言葉を刻してあり。いはく社会民主党員は腰抜けなりと。第一次世界戦線前後の彼女の活動を象徴する言葉なり。その言葉のとほり闘争的なる生涯を送り、官憲によって虐殺せられしはよく知られたる史実なり。



ローザ・ルクセンブルグ・プラッツ駅より地下鉄に乗りアレクサンダー・プラッツに至る。この広場はベルリン最大の繁華街を控へてあり。テレビ塔、世界時計、ベルリン市ラートハウスなど重要建築物集中す。世界時計は東ドイツ時代に建造せられ、いまだにベルリンのシンボルとして、世界諸都市の時刻を表示しをるなり。



広場の一角に小森林あり。その傍らにマルクス・エンゲルスの銅像立ちたり。その銅像の前にて余ら四人並びて記念撮影をなす。アメリカ娘にシャッターを切らしめたるなり。東ドイツ時代の遺物のうち、ソ連の息のかかりたるものは撤去せられたれど、マルクス・エンゲルスは生粋のドイツ人たる故を以ていまだにドイツ市民に親しまれをるやうなり。



シュプレー川にかかる橋を渡り、いはゆる博物館島に至る。シュプレー川の中州に、大聖堂のほか多くの博物館の建ち並びたるところよりこの名を得るといふ。大聖堂はプロシャ国王ホーエンツォレルン家の菩提寺にて、歴代の皇帝の墓を安置すといふ。



ペルガモン博物館を見物す。中東の古代文明の遺産を展示するところにて、圧巻は古代都市ペルガモンの遺跡を復元したる構築物なり。この博物館は、ルーブル美術館及び大英博物館と並び、人類の遺産を多く所蔵する由なり。そのため見物客多く押し寄せ、入館規制をなしおるほどなり。余らは開館前に到着したれば速やかに入館すること得たれど、後から来れる者は長い列に並ばされてあり。

ペルガモン博物島に接してドイツ歴史博物館あり。ここは名の如くドイツの歴史的遺産を展示する由。目下大規模なる国家行事の準備中にて、中庭には管弦楽団演奏の練習に余念なし。これらを含め、この界隈の歴史的建築物には、ギリシャ風の列柱を正面に据ゑたるもの多し。ギリシャ風の擬古趣味はドイツ人特有の傾向といふべし。

歴史博物館の近くには、フンボルト大学の建物群建ち並びたり。この大学は十九世紀初頭に創建せられ、ベルリン大学としてフィヒテやヘーゲルと結びつきをれど、日本にては帝国大学の模範として知られをる由なり。構内の一隅に、ナチスによる焚書事件を記念する構築物あり。焚書の舞台となりし場所に、ナチスによる蛮行を象徴する結構を構築しをるなり。すなはち路上に大いなる穴をうがち、その内部に空虚となりし書棚を並べ、上部をガラスもてふさぎ、そのガラスを通じて穴の内部を見しむるといふ工夫なり。



フンボルト大学より南の方向へ歩き、ややしてジェンダルメン・マルクトに至る。ベルリン市内最も優美なる場所として知らるるところなり。その名はフランス語のジャン・ダルム(Gens d'Armes)に由来する由。コンツェルト・ハウスの荘厳なる建物を囲み、フランス・ドームとドイツ・ドーム相向かひて立ちたり。また、広場中央にシラーの銅像を配置せり。二つのドームはどちらもロマネスク様式の建築物なり。その外観双生児の如く相似たり。ドームとはいへど、いまは教会の機能を有せず、歴史的建築物として内部を公開する由なり。尖塔の先端まで登ることを得るといふなれど、足腰に自信を持たざれば上ることをせずしてやむ。

広場の一角にイタリア料理店あり。その店の野外席に腰掛けて、二つのドームを交互に眺めあげつつパスタ料理を食ふ。生ビールことのほかうまかりき。


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