水彩で描く東京風景
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旧岩崎邸:水彩画・東京風景



旧岩崎邸(36×26cm ワトソン 2006年7月)


不忍池畔、大通りから一本西側の裏道を北に向かって歩いていくと、ゆるやかな坂道になっていて、その途中に旧岩崎邸の門がある。門越しに絵にあるような古い洋館を見ることができる。入園料を支払って邸内に入ると、洋館の裏手には和館があって、靴を脱いで室内を見ることもできるようになっている。ここは長い間司法研修所として用いられていたものを、近年東京都が国から移管を受け、都立庭園として整備した上で、一般に公開するようになったものである。

この土地はもと、越後高田十五万石榊原氏の藩邸があった所である。榊原氏は徳川四天王の一といわれた家柄で、徳川家の信頼が厚く、下谷池之端の御屋敷と呼ばれたこの土地は、江戸城防備の役割も担わされていたという。

明治の政商岩崎がこの土地を買って、明治二十九年にこの洋館を建てた。設計者は、神田ニコライ堂などを設計した英国人コンドルである。明治の記念碑的な洋館として、記念切手の図柄にも取り上げられている。木造ながらよく保存されているのは、戦後米軍によって接収された後国の財産となって、手入れが行き届いていたからであろう。

門前の坂はしばらく行くと左へ折れ、本郷の高台へと上っていく。無縁坂である。森鴎外は、この坂を舞台として小説雁を書いた。時は明治十三年、「その頃から無縁坂の南側は岩崎の邸であったが、まだ今のやうな魏々たる土塀で囲ってはなかった。きたない石垣が築いてあって、苔蒸した石と石との間から、葉朶や杉菜が覗いてゐた・・・坂の北側はけちな家が軒を並べてゐて、一番体裁の好いのが、板塀を繞らした小さいしもた屋、その外は手職をする男なんぞの住ひであった」とある。この描写にあるような田舎びた趣は無論ないが、無縁坂の周囲は今でも都心とは思われぬ程閑静な雰囲気に包まれている。

この日、私は正門の近くから洋館をスケッチした後、裏手の方へ廻ってみた。移管後まだ日が浅いこともあり、建物の裏側は壁面に沿って養生が施され、修理の最中であった。来年には修理も終わり、洋館の内部も公開される段取りという。この邸宅は日本で最初に水洗トイレを設けたり、日本の洋風建築の歴史を体現するような存在なのである (2002年) 




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