学海先生の明治維新
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学海先生の明治維新その四十四


 学海先生の細君の弟藤井喜太郎はかねて仏国留学の抱負を抱き、その準備として一昨年の慶應三年春より横浜で勉学修行をしていた。本来ならそろそろその抱負を実現すべき時期なのだが、維新の混乱で佐倉藩には喜太郎を留学させる余裕がなくなり、喜太郎も自力では資金を調達できず、延び延びになっていた。そんな折々喜太郎は横浜から義兄を訪ねてきて、色々と興味深い話を聞かせてくれた。
 喜太郎は外国人の居留区で勉学修行をしているので、外国人からさまざまな情報を得ていた。外国人と接して喜太郎が最も強く感じたことは、彼らの日本人を見下す態度の傲慢さであった。彼らはどうも日本人を自分たちとは平等の生物とは見ていないようなのである。
「ほお、夷人が我が邦人を夷狄扱いするのかの?」
「そうなのです、我が邦人を野蛮な生物と思っておるようなのです」
「何を根拠にそんなふうに思うのじゃ? アヤツらの言う野蛮とはどういう意味じゃ?」
「夷人がよく言うのは、我が国は半文明国ということです。そのわけは、政刑が国内に行われず強盗のたぐいが充満している、その強盗どもが外国人をほしいままに殺している、これは文明国にはあるまじきことだ、そんなふうに言って我が国を貶めているのです」
「邦人の中には夷人を殺傷している者がいるのは事実じゃが、それは強盗を働こうとしてではあるまい。いま政府を牛耳っておる薩長の連中もつい最近までは攘夷と称して夷人を襲撃しておったものじゃが、それには理由があった。つまりその、夷人が我が国の国体を損なおうとすることへの反発だったので、なにも夷人を殺して財貨を奪おうとしたわけではない」
「そういう理屈は夷人には通用しないのです。アヤツらの目には、邦人が無暗に外国人を殺傷しているように映るのです。横浜には外国人の軍隊が駐留しております。それは自国人の安全を守るためだといっておりますが、私に仏語を教えてくれているフランス人は、国内に外国人の軍隊の駐留を許すのは独立国家としてはあり得ない話だと言います。つまり日本は外国によって独立を脅かされているというのです。拙者もそう思います」
「ほお、国の独立とは面白い考えじゃ」
「これは欧州や米国では常識だと言います。国の独立とは外国人の干渉を受けずに自由に行動することを言うそうです。ところが今の我が国はその自由を制約されている。外国の言いなりになっているところがある。外国の軍隊を駐留させていることなどはその最たるものです」
 こんな話を聞かされると、学海先生は先日の福沢諭吉の話を思い出した。福沢は一国独立して一身独立すと言っていた。国の独立なくして国民の独立もないという意味なのだろう。その折は福沢の弁舌に辟易させられたが、よくよく考えれば福沢も間違ったことを言っていたわけでもなさそうだ。
 学海先生はまた、昨年函館に拠る榎本武揚が北海道の土地にかかわる利権を外国に与えようとしたという話を思い出した。
「函館の榎本武揚が外国人と語らい、北海道の開拓を外国人と共同で行いたいと朝廷に申し出たそうじゃが、これなども国の独立に反するのかの?」
「国土を外国人に与えるのは亡国への道だとそのフランス人は申しております。清国が外国によって植民地化された最大の理由は、国土の一部を与えたことにあります。したがって日本も国土の一部を外国に与えれば、清国と同じ命運にさらされることになるというものです」
「すると榎本氏は亡国の輩ということになるのかの?」
「そう言えると思います」
 学海先生は榎本武揚が函館を拠点に新政府に抵抗していることを、かねて痛快事として受け取っていた。薩長の横暴がますます高じる時世にあって、榎本の如く抵抗するものは勇気ある者として褒められてしかるべきではないかと思ったからである。しかし国土の一部を割いて外国に与え、以て亡国への道を歩まんとすることは、喜太郎の言うとおり日本にとって許されるべきことではない。
「外国の中でも最も日本の独立を脅かしているのはイギリスです。イギリスは横浜に軍隊を駐留させるばかりでなく、横浜と東京を結ぶ鉄道の敷設権を手に入れてしまいました。鉄道の敷設権は国土の譲与とは違うように見えますが、実際には異なるところはない。鉄道の敷設に合わせてその運営一切にかかわることがらを自国で行うようにすることで、事実上鉄道周辺の土地を領土化したのと同じ効果を持つのです」
「そうかイギリスはそんなことをしおるのか。で、その権利を与えたのは今の政権なのかの?」
「いや、その取り決めは徳川幕府との間で結んだようです。日本側はその取り決めを廃止したいと申し入れているそうですが、それに対してイギリスはまともに答えようとしない。もし取り決めを廃止することになっても、ただでやめるつもりはない。莫大な賠償金を要求するのは目に見えています」
「けしからん奴らじゃな。損害が生じているわけでもないのに、賠償金を寄こせというのは、それこそ強盗も顔負けというものじゃ」
「全くおっしゃるとおりです」
「ところで先日公議所で国債の発行というものについての審議があった。ワシはそれに強く反対したのじゃが、どうかの? 国債とは国の借金で、しかも国内では借りられないものを外国から借りることもあるという。ワシは国内で借金するのも問題があるというのに、外国から借金するのはもってのほかと思ったのじゃ」
「それはおそらく鉄道の敷設にかかわる費用を国債で捻出したいということなのでしょう。いま我が国は、軍事力の強化とともに鉄道や通信といった近代的な施設の整備が迫られています。その整備には巨額の金がかかりますが、その金は国内では容易に調達できない。そこで国債を発行して外国から金を調達しようというのでしょう」
「公議所での議論では、国債の用途については明らかにされなんだ。ただ国債を発行して必要な資金を調達することの是非が論じられただけじゃ」
「やはり兄上の仰せのとおり、無暗に国債を発行するのはよくはないと思います。ただ鉄道のように一時に巨額の費用を要する事業は、それがどうしても必要だとなれば、国債によって資金を調達するほか方法はありますまい」
「ほお、そういうことか。しかしオヌシも横浜で勉学したせいで、随分物理に明るくなったの」
 日本は野蛮な半文明国だという外国人の見方を喜太郎から聞かされていくばくもなく、公議所では切腹禁止の議案がはかられた。議案の趣旨説明によれば、いまや我が国は国際社会の一員となり、諸外国から尊敬を集めねばならぬ折、外国人の目に野蛮と映る陋習をなるべく改めねばならない。ついてはその陋習のうちでも切腹は最も野蛮な風習である。またいまや文明に浴している我が邦人のなかに、切腹を禁止して不都合を感じる者はいないと思われる。よって切腹禁止によって文明の道を一歩進め、以て諸外国の我が国への偏見を解消せしむるのが得策である、と。
 学海先生はこの趣旨説明を聞きながら、数日前に会津の人から見せられた白虎隊士の切腹自殺を描いた絵を思い出した。その絵を見て先生はいたく感動したのであった。その感動は白虎隊士の名誉心への共感から来ていた。そしてその名誉心は彼らが割腹自殺することで自らの信念を貫いたと言うことに発していた。それをこの趣旨説明は頭からバカにしている。そう先生は感じないわけにいかなかった。しかし他に反対する者もおらず、先生もあえて声を大にして反対することはしなかった。
 しかしその数日後に、佩刀を廃する議案が提出された時には、先生は声を大にして反対した。また議場には先生と同じく反対する者の怒号が鳴り響いた。
 議案の提出者である薩摩藩士森有礼は、今や維新によって国際社会の一員となった我が国にとって、佩刀の風習は国際社会の目に蛮風と映っている、よって今後国際社会において諸外国の尊敬を集めるためにはこの蛮風を廃する必要がある、そう言って賛同を求めた。しかし森に賛同する者はほとんどいなかった。中にはかかる議案の提出を許したとして議長を責める者まであった。
「議長、森君の提案は邦人の名誉心を著しく軽蔑したものといわざるをえませぬ。刀は武士の魂でござる。刀を差すなということは、褌一枚で往来を歩けというようなものでござる」
「小生は褌一枚で往来を歩けとは申しておらぬ。往来を歩くときは刀を差すなと申しておるだけです」
「人のいうことを茶化すのでない。刀は天地開闢以来武士の象徴であって、それを取られることは武士の魂を抜かれるのに等しい」
「小生は刀を取り上げるとは申しておらぬ。往来で刀を差すのはやめろと申しておるだけです」
「それまた、人のいうことを茶化しおる。オヌシは廃刀の根拠に夷人の目を上げておるが、それは本末転倒というものじゃ。だいたいそなたの夷人かぶれには度が過ぎるものがある。聞くところによれば、そなたは言葉についても邦語を廃止して英語を用いよと言っておるそうじゃないか。それこそ狂気の沙汰というものじゃ。この廃刀の議論もそなたの狂気から出たのじゃろう」
 こんな具合で議場は佩刀に反対する意見で充満し、ついに議案は廃案に追い込まれたのであった。廃刀令が公布されるのは明治九年のことである。




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