学海先生の明治維新
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学海先生の明治維新その八十五


 小生は鬼貫平右衛門の疑念を解くのに多少の難儀をしたが、なんとか理解してもらった。それにはあかりさんの助力が大きくものを言った。あかりさんが小生を子どもの頃からの知り合いだと言ってくれたので、あかりさんにすでに心を許していた平右衛門は、小生にも心を開いてくれたのだった。それでも小生が自分自身の子孫だということには、なかなか納得がいかないようだった。
 そのあかりさんは、大島紬の小袖を着ていた。大柄なあかりさんにもその小袖はよく似合って見えた。
「おかあさんも和服を着ているのね」とひかりちゃんが言った。
「ああ、この家にあったものを貸してもらったんだよ」とあかりさんは答えた。
 その家というのは、政府軍が収用した民家で、西郷軍が立てこもっている城山の北側にあるということだった。政府軍はここに数日前から駐屯し、西郷軍の様子を偵察しながら、あわよくば攻撃を仕掛けようとしているらしい。
 西郷軍は、生き残った精鋭数百名が城山に立てこもって、政府軍を相手に最後の抵抗をしていた。
 その西郷軍を前にして、鬼貫平右衛門の士気は高いように見えた。彼は西南戦争が勃発するや、いの一番に志願して、新政府軍との戦いに参加した。会津の戦いで親兄弟を一人残らず殺された平右衛門にとって、薩摩の西郷は憎んでもあまりある仇だった。その仇を自分の手で討って、死んだ親兄弟の恨みを晴らしたい、というのが平右衛門の執念になっていた。
「ワシはなんとかして、自分のこの手で西郷の首をとってやりたいのじゃ」
 そう平右衛門は言って、西郷さんへの敵意をむき出しにした。すると学海先生は、
「官軍が会津攻撃をした際には、西郷はかかわっておらなかったはずじゃ。会津攻撃の官軍総大将は土佐の板垣退助でござった。それゆえ西郷を恨むのは筋違いというものじゃ」と言った。
「筋違いも何もない、西郷が賊軍の総大将だったことには間違いない。その総大将を親兄弟の仇と思うのは当然のことじゃ。なにしろワシの親兄弟は一人残らず殺されたのじゃからな」
 平右衛門はいまだに自分たち会津側が正義軍であり、薩長を賊軍と思っているのである。
「僕のご先祖の平右衛門さんがここにいるのはわかりますが、上田さんのご先祖がどうしてここにおられるのですか?」
 小生がそう言うと、上田善之助は、
「ワシは徴兵されて第一師団に入れられたのだが、西郷軍との戦が始まると、真っ先に戦地に送られて来たのだ。熊本城の攻防戦から始まって、人吉、重富の戦いを経て、いまはこうして城山にいる西郷軍と対峙しておる。西郷軍はもはやこれ以上戦いを続ける余力をもっておらんだろう。近いうちに決戦と言うことになるはずだ。その折には鬼貫殿が西郷の首を取ることができるよう、ワシもひと肌ぬいでさしあげるつもりぞ」と言った。
 するとあかりさんが先祖の善之助さんに向かって、
「善之助さんは西郷さんになにか個人的な怨みでもあるのですか?」と聞いた。
「いや、ワシには西郷への個人的な恨みはないが、鬼貫殿の話を聞いて、同情したのだ。だから鬼貫殿の恨みを晴らせてさしあげたいと思うようになったのじゃ」
 するとひかりちゃんがあかりさんに向かって、
「おかあさん、こんなところにいつまでもいたら、戦いに巻き込まれるかもしれないわ。そうなる前に、わたしたちの普通の世界に戻りましょうよ」と言った。
「そう言われても、自分の力では戻れない、どうしたら戻れるかわからないのよ」
 こうあかりさんが答えると、
「それは心配無用じゃ。ワシが責任を持ってオヌシたちをもとの世界に戻してやる」と胸を叩いて言った。
「しかし、いますぐというわけにはまいらぬ。いましばらく待つがいい」
 こうして幾日かが過ぎた。その間、政府軍側は城山突入の準備をし、西郷軍側はなんとかして政府軍側の囲いを突破しようと軍議を重ねていた。
 事態が動いたのは九月二十四日だった。この日の未明、官軍が城山への総攻撃を開始したのだ。
 それに先立ち西郷側では、官軍の司令官に使者を派遣して、西郷の救命を条件に降伏を申し出たが、官軍ではこれを無視し、西郷に無条件降伏を求めた。西郷はこれに応えず、徹底抗戦の方針を示した。その折の檄に曰く、
「今般、河野主一郎、山野田一輔の両士を敵陣に遣はし候儀、全く味方の決死を知らしめ、且つ義挙の趣意を以て、大義名分を貫徹し、法庭に於て斃れ候賦に候間、一統安堵致し、此城を枕にして決戦可致候に付、今一層奮発し、後世に恥辱を残さざる様、覚悟肝要に可有之候也」
 西郷軍は全軍城を枕に討ち死にする覚悟を決めたのである。
 官軍の総攻撃が始まると、西郷軍の幹部は一同洞窟前に整列して最後の名残を惜しんだ後、岩崎口に向かって進んだ。その彼らに官軍は無数の砲弾を浴びせた。
 軍の幹部たちがつぎつぎを砲弾に倒れ、西郷自身も砲弾を浴びて動けなくなった。そこで西郷が、これも負傷していた別府晋介に向かって、
「晋どん、晋どん、もう、ここでよかろう」と言って、別府の介錯を受けて切腹自殺したのである。
 西郷を失った後、西郷軍は総崩れとなり、自殺するものや捕虜になるものが続出した。
 鬼貫平右衛門たちは、総攻撃の開始とともに、なんとか西郷の姿を見つけて一矢報いてやろうとあせっていたが、なかなかその機会を得られないうちに、西郷軍の残兵が岩崎口あたりに出て来たのを目撃した。その中には西郷らしい姿はなかったが、威風堂々とした格好の大将らしいものを認めたので、平右衛門はその男に向かって銃弾を発した。銃弾はその男の眉間に命中し、男はその場に倒れた。その男こそ西郷軍の総指揮官桐野利秋だということだった。
 平右衛門は、西郷こそ討つことができなかったが、西郷に次ぐ薩摩の大物を討つことができたことで、自分の積年の恨みの幾分かが晴れたような気がしたのだった。
 戦いが終わった後、西郷軍側の死体の検分が行われた。
 中に首のない死体があった。その死体の股ぐらからは巨大な男根がのぞいていた。それを見た平右衛門は、
「これが西郷に違いない」と叫んだ。
「西郷のマラは巨大ということじゃ。おそらくここで切腹をして、その首を西郷軍が持ち去ったのであろう」
 すると学海先生も、
「そのようじゃな、西郷のマラは牛のようにでかいともっぱらの噂じゃった。このマラを見ると牛も顔負けのでかさじゃ。西郷のものに違いない」
 小生は両軍の死体がまだあちこちに転がっている荒涼とした戦場を眺めわたした。それは破壊のすさまじさをまざまざと感じさせた。
「なんのためにこんな破壊が必要だったのか?」 
 小生はこう問わずにはいられなかった。双方が戦ったのは自分たちの権勢を守るためだったとしか思えない。だがその権勢にどれほどの意味があるのか。権力の追求に過ぎないではないか。その為にこれだけの血が流され、これだけの破壊が行われた。
 すると視界の一角に女の姿が映った。小生の母だ。
「かあさん、こんなところにいたら、どんなとばっちりを受けるかわからないよ。早く引き揚げたほうがいいよ」
「官兵衛さんの姿が見えないんだよ。砲声が聞こえると、ワシも西郷軍に加担するといって出て行ったまま、いなくなってしまったんだよ。まさか死んだわけじゃないだろうね」
「官兵衛さんが死ねばかあさんは生まれてこなかったわけだから、死んではいないはずだよ」
「そう言われれば、そうだねえ。どこかに身を隠しているのでしょう。とりあえず私の出番はなくなったようだから、私はまたあの世に帰ろうと思うよ」
「そうしたほうがいいよ。あの世では父さんが待っているんだろう?」
「いや、父さんとはしばらく会っていないんだよ」
「だって、あの世でも二人仲良くしているところが、僕にも伝わって来たよ」
「それがそうでもないんだよ。父さんはあの世でも自分勝手なことばかり言うもんだから、わたしゃいつも腹をたてているのさ。最近は口をきくこともないのさ。だから父さんは、私に近寄らなくなったんだよ」
「まあ、夫婦のことを、いくら息子の僕でもとやかく言うことは出来ないけど、できたら仲良くしてほしいね」
「ところでお前はまた普通の生活に戻るんだろう?」
「ああ、そうなると思う。かあさんもあの世で元気でいて欲しい」
「一度死んだものは、二度生きることはないんだよ」
 小生と母とがこんなやりとりをしていると、学海先生が脇から口を挟んで、
「さあ、ここらでよいじゃろう。あまりこの時代にこだわり続けていると、ここから出ることができなくなる。そうなる前に、現実世界に戻らねばならぬ。もっとも、ずっとここにいたいということであれば、別じゃが」と言った。
 小生は慌てて、
「いや、そんなことはありません。すぐにでも現実世界に戻ります。あかりさんとひかりちゃんもすぐ戻りたいだろう?」と言った。
 すると、あかりさんは、
「わたしはこのままこの世界に居続けてもいいような気がするけど、ひかりはそうじゃないでしょう。しかもそのひかりはまだ私を必要としているようですから、やはりひかりと一緒に戻ったほうがいいんでしょうね」としみじみとした口調で言った。
 するとひかりちゃんは、
「お母さん、なにを馬鹿なことを言っているの。さあ、私といっしょに元の生活に戻りましょう。お母さんはまだ死んではいないんだから、わたしと一緒に生き続けなきゃだめよ」と言って、母親をたしなめるのであった。




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