言問橋(25×34cm クラシコ5 2004年5月)

言問橋という名から、人は雅な世界のイメージを思い浮かべるかもしれない。だが現実にこの名を冠せられた橋は無骨な姿をしている。川端康成は隅田川に新たにかけられた橋々を評した文の中で、清洲橋を女とすれば言問橋は男だと書いている。

架けられたのは昭和3年。震災復興橋の中では比較的早く作られた。それまで白鬚橋と吾妻橋の間には橋がなく、人々は渡し舟で川を渡った。竹やの渡しといって、向島の三囲神社と浅草の裏手を結んでいた。荷風散人の小説「すみだ川」の舞台となったところだ。芸者に売られる主人公の恋人はこの渡し舟に乗って浅草側に渡り、そこから日本橋芳町の芸妓街へと向うのである。

向島を南下してきた水戸街道はこの橋を渡ると名を言問通りと変える。道は浅草寺の裏手を行き、鶯谷の線路を跨いで谷中を過り、追分近くで本郷通りに突き当たる。更にその先を行くと、一葉女史が短い晩年を過した菊坂あたりの下に出る。この絵では右手が浅草側である。






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