柳橋2(25×34cm クラシコ5 2004年3月)

柳橋がいつ架けられたか、その由来が橋詰の説明板に記されている。それによれば、江戸初期、下柳原同胞町(中央区)と対岸の下平右衛門町(台東区)は渡舟で往来していたが、元禄十年南町奉行所に架橋を願い出て許され、翌元禄十一年に完成したとある。勿論木橋だった。

江戸切絵図を見ると、柳橋の南岸は両国広小路である。この広場は、明暦の大火を契機に火除地として整備されて以来、江戸の一大繁華街に成長したところだ。したがって、広場の北側を流れる川に橋を架ける意味は大きかったろう。人々は、広小路の繁華街で芝居見物をした後、橋を渡って北岸の遊廓街に吸い込まれていったと想像できる。

現在架かっている橋は、震災復興事業の一つとして昭和四年に完成したと、これもまた説明板に書いてある。第一橋梁らしく意匠をこらし、ドイツライン川の橋を参考にした永代橋のデザインを取り入れたとあるが、むしろ厩橋に似ているという人もいる。そのほうが的確かもしれない。どの角度から見ても絵になるのが感心だ。






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