イタリア紀行
HOMEブログ本館続壺齋閑話フランス文学英文学日本文化ロシア情勢|プロフィールBBS


イタリア旅行の思い出

今回のイタリア旅行は、わずか六泊の短いものだったが、かなり無理をして歩き回ったせいもあって、結構中身が濃いものになった。風景や文化に触れることができたのは無論だが、イタリア人の人情というか、彼らの気さくな態度が非常に印象に残った。イギリスやフランスを旅すると、かならず一回や二回は、自分が黄色人種の東洋人であることを意識させられるのだが、ローマやナポリではそういうことがなかった。彼らが我々を同じ人間として待遇してくれるのである。そのうえ、ホテルの廊下やレストランなどでイタリア人とすれ違ったりした折、イタリア女性からチャーミングな笑顔を向けられたりして、いい気持ちにさせられたりもした。日本でも、そういうことは滅多にない。また、年をくっているとはいえ、男が二人連れ添って歩いていると、パリなどではゲイに受け取られることがあったが、ローマではそういうことを感じさせられることはなかった。イタリア人というのは、さばけた人だという感じがする。

イタリア人は、ローマの末裔ということもあって、自分たちは世界の中心にいるという意識が強いと聞いたことがある。しかし、今回の旅行でイタリア人と接した限りでは、そういう尊大な雰囲気は伝わってこなかった。彼らは我々日本人に対して非常にフレンドリーなのだ。どこの国の人々に対しても同じなのかどうかはわからない。日本についていえば、過去の歴史のなかでイタリアと敵対関係になったことがないので、少なくとも日本人を敵対視する理由がないということかもしれないが、そうではなくイタリア人が単にフレンドリーなだけなのかもしれない。

フランス人には強い選良意識があって、そのため基本的に自国語意外はしゃべらないと言われるが、イタリア人はそうでもないようだ。少なくとも、イタリアの町で、イタリア語が話せないおかげで困惑しきったということはなかった。だいたいどこでも英語が通じるし、英語のわからないイタリア人を相手にしていても、何とかコミュニケーションが図れた。彼らがフレンドリーでないと、なかなかそういうわけには行かないだろう。

イタリアがローマとつながっているということは、街の表情を一見してすぐにわかる。たとえばローマの町では、フォロ・ロマーノのような古代ローマの遺構が、街のどまんなかにそのままの姿で残されている。それを見ると、ローマという町は、古代と現代が同居している稀有な町だという印象を強くする。

このように古代が大切に保存されているのは、意識的な努力に裏打ちされているからだ。古代が現代と齟齬をきたさないように、街の景観は慎重にコントロールされている。調和を破るような高層のコンクリート建築物はローマの町には存在しないし、また、地下鉄もローマの地下遺跡を破壊するという理由で、最小限に抑えられている。その分、トラムやバスといった地上の公衆輸送機関が補っている。

ローマは、歴史と文化を背負った魅力ある都市として、世界中から観光客を集めている。今回我々の歩いた至るところ、そうした観光客を見かけた。当然のことながら、欧米人の姿が多い。欧米人の中でもカトリックの信者たちは、観光と信仰の二股をかけてローマにやってくるのだと思う。なにしろ彼等の一番大好きな観光スポットは、ローマのサン・ピエトロ聖堂やフィレンツェのドゥオーモなどの宗教施設だったように思う。

街を歩いている東洋人としては、やはり中国人が圧倒的に多いようだ。そのためか、我々は様々なところで「ニーハオ」と挨拶された。もっとも我々にそう言ってくるのは、ほとんどが黒人で、我々に安物の土産を売りつけるのが目的なのである。イタリアの黒人は、路上で安物を売っているような姿ばかりが目立ち、イタリア社会に溶け込んでいるようには見えなかった。これはパリなどとは大きな違いで、イタリアなりに特殊な事情があるのだろうと考えさせられた。その事情はよくはわからない。

外国を旅行すると、一番の関心の対象は食事だ。今日はなにを食おうか、というのが朝起きてまず意識に上ってくる事柄である。イギリスやドイツの食事はまずいことで有名だが、イタリアのそれは結構人気がある。筆者もいわゆるイタメシ・ファンのひとりだから、イタリア料理は好きなのだが、しかし毎日そればかりを食わされると、さすがに飽きてくる。それは毎日食い続けても飽きることのない中華料理とは違う。筆者などは、中華料理なら、一ヶ月くらいそればかり食い続けても飽きない気がする。

食事をはじめ支払いはほとんどクレジット・カードで行った。現金は成田で両替したユーロを多少持って行ったが、ユーロがないと困るケースはあまりなかったように思う。それについて、イタリアで両替するときは、大銀行などで、きちんとレートを確認してから行うべきで、街中のカンビオ(両替所)などでは決してやらないことだ。筆者は、一部好奇心もあって一万円分だけ両替してみたが、とんでもない金額のコミッションを取られた。やらずぶったくりである。かかる類の施設が何故幅を利かせているのか。とにかく多いのである。

イタリアの町にも、日本のコンビニほど便利ではないが、小型のスーパーのようなものが色々な場所にあって、飲み物をはじめ日常のものはだいたい買うことが出来る。一つ気になったのは、イタリアのスーパーでは氷を売っていないということだった。イタリア人には食料や飲料を冷やして摂取する習慣がないというのである。ロンドンの町でも、ビールを冷やして売っている店は少なかったが、ロンドンの場合には気温が低いので冷やす必要があまりない。それに対してイタリアの夏は結構暑い。やはりビールなどは冷やさないと、日本人としては不都合なのではあるまいか。

ローマの水道水は、外国人でも飲めないことはないそうだが、やはりミネラル・ウォーターを飲んだほうがよいと言われた。ミネラル・ウォーターは、安いものなら一リットルのペットボトルが40セント(55円ほど)くらいで売っている。安いと言っても有料なので、レストランでも無料で出すことはない。水といえども、客は金を払って飲むのである。

イタリアは格差社会だと言われているが、町を歩いているとそのことを感じさせられることがある。まず住居。ローマの人々は基本的には集合住宅に居住しているのだが、その住宅が階層ごとに差別化されている。金持ち向けの集合住宅は、砦のように堅固に守られていて、いわゆる選ばれた人々のためのゲーテッド・コミュミティの観を呈している。それに対して貧乏人の住むアパートは、外部に向かってあけっぴろげにできている、といった具合だ。おそらく住居に限らず様々な局面で、階層ごとの格差があるのだろうと思われる。

また、格差社会の反面としての治安の悪さが指摘されているが、今回のイタリア旅行で、それを感じたことは全くなかった。

ともあれ、色々なことを感じさせられながら、なかなか充実した一週間だった。





HOMEイタリア紀行









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2015
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである