漢詩と中国文化 |
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山村経行因施薬五首:陸游を読む |
陸游は本草の知識を生かして晩年医師のようなことをした。医師と言っても、症状に応じた薬草を調合してやるくらいのことだったろう。それでも、まともな医師のいない郷里近くの山村地帯にあっては、民衆の頼りになる存在だったようだ。そんな医師としての自分の生きざまをテーマにした詩がある。開禧元年(1205、81歳)のときの連作「山村経行因施薬五首」がそれだ。 陸游の七言絶句「山村経行し因って薬を施す五首」(壺齋散人注) 其一 閑行偶復到山村 閑行して偶々復た山村に到る 父老遮留共一尊 父老 遮り留めて 一尊を共にす 曩日見公孫未晬 曩日 公を見しとき 孫 未だ晬(さい)ならざりしに 如今已解牧鶏豚 如今 已に解(よ)く鶏豚を牧す のんびり歩いていたらたまたままた(いつかの)山村に来た、すると土地の父老が引き留めて一緒に飲むことになった、父老がいうのは、この前お会いした時孫はまだ一歳になりませんだが、今やこうして鶏豚の世話をするようになりました 其三 児扶一老候渓辺 児は一老を扶けて渓辺に候(ま)ち 来告頭風久未痊 来り告ぐ 頭風久しく未だ痊えずと 不用更求弓止輩 用ひず更に弓止の輩を求ずるを 吾詩読罷自醒然 吾が詩読み罷らば自づから醒然たらん 息子が父親を支えて谷川の岸辺に待ち構え、訴えて言うには、頭痛が長いこと治らんのですと、そこで言ってやったには、これ以上薬草は必要ないわ、わしの詩を読めば自然とよくなるからと 其一では山村に住むものから頼りにされている陸游の姿が、また其三では薬の代わりに自分の詩を進めている茶目っ気たっぷりの陸游が浮かんでくる。 |
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