漢詩と中国文化 |
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衰嘆:陸游を読む |
陸游の五言律詩「衰嘆」(壺齋散人注) 十年三堕歯 十年 三たび歯堕つ 久兮嘆我衰 久しいかな 我の衰ふるを嘆くこと 亹亹循天理 亹亹(びび)として 天理に循ひ 兢兢到死時 兢兢として 死の時に到らん 窮空顔子巷 窮空 顔子の巷 勤苦董生帷 勤苦 董生の帷 道遠余生趣 道遠くして 余生趣(すみやか)に 常憂日影移 常に日影の移るを憂ふ この10年の間に三回も歯が抜けた、自分の衰えを嘆いて久しくなる、つつしんで天理に従って生きてきたが、このうえは襟を正して死ぬ時を待とう(亹亹:慎むさま、兢兢:己を戒めるさま) 日頃窮乏することは顔子に劣らず、勤苦することは董仲舒にも負けなかった、道未だ遠くして余生は短くなった、常に日の移り変わりの早いのを嘆いている(窮空:困窮すること、顔子:孔子の弟子顔回、董生:漢の学者董仲舒) 開禧元年(1205,82歳)の作。身体の衰えを嘆き、死期の迫っていることを畏れる気持ちを歌う。陸游は老いてなお知的な能力は衰えなかったので、身体の衰えがそれだけこたえたのであろう。 |
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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2009-2013 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |