漢詩と中国文化 |
HOME|ブログ本館|東京を描く|水彩画|陶淵明|英文学|仏文学|西洋哲学 | 万葉集|プロフィール|BSS |
故山:陸游を読む |
淳熙15年(1188、64歳)、陸游は巖州の任期を全うして一旦帰郷、その後軍器少監に任じられて都に赴任した。翌16年、礼部郎中となり、実録院検討官を兼務したが、同年11月弾劾されて職を免ぜられ、故郷の紹興に舞い戻った。 時に陸游65歳。彼はいよいよ退隠生活に入ることを決心した。もはや官職への未練はない。そう考えた陸游は、紹興の三山に25年前に建てた家で、人生最後の日々を送ろうと考えたのである。 三山というところは鑑湖の畔にあって、会稽山を望む景勝の地であったらしい。鑑湖はまた鏡湖ともいって、後漢の時に治水事業で作られた人造湖であった。今では、大部分が埋め立てられて往時の面影はないというが、かつては紹興の市街を東西にまたがる大きな湖であったらしい。 その鑑湖に遊んだときの詩を一首、陸游は作った。「三山」と題する四首のうちの第一首である。時に紹熙元年(1190)、陸游66歳の時のことであった。 陸游の七言律詩「故山」(壺齋散人注) 功名莫苦怨天慳 功名 苦だしく怨む莫かれ 天の慳(お)しむを 一棹歸來到死閑 一棹 歸り來たらば 死に到るまで閑なり 傍水無家無好竹 水に傍うて 家の好竹無くは無く 捲簾是處是青山 簾を捲けば 是(いた)る處 是れ青山なり 滿籃箭茁瑤簪白 籃(かご)に滿つる箭茁は 瑤簪のごとく白く 壓擔棱梅鶴頂殷 擔を壓する棱梅は 鶴頂のごとく殷(あか)し 野興盡時尤可樂 野興 盡くる時 尤も樂しむ可し 小江煙雨趁潮還 小江 煙雨 潮を趁(お)って還らん 天が自分に功名を惜しむのを恨んだりするのはやめよう、船に乗って帰って来たからには、あとは死ぬまで静かに暮らせる、水に沿って立っている家々にはどこも竹が生えているし、簾を巻いて外を見ればいたるところが青山だ 籠いっぱいの筍は瑤簪のように白く、天秤棒にぶら下がった梅干しは鶴頂のように赤い、野遊びを尽くすときは楽しい限りだ、遊び終われば船に乗って、煙雨の中を潮を追うようにして帰ろう |
HOME|陸游|次へ |
作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2009-2013 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |