漢詩と中国文化 |
HOME|ブログ本館|東京を描く|水彩画|陶淵明|英文学|仏文学|西洋哲学 | 万葉集|プロフィール|BSS |
遊山西村:陸游を読む |
隆興元年(1163)五月に鎮江府通判に任命されて陸游は翌二年に当地に着任したが、その翌年乾道元年(1165)七月には隆興府(江西省南昌)通判に転任し、同二年(1166)四月にはついに職を免ぜられ、郷里の紹興西郊に新築した家に引きこもることになった。それ以降、乾道六年(1170)閏五月に新任地夔州(四川省)に向けて出発するまでの4年ほどのあいだ、陸游は浪人生活を送った。 「遊山西村(山西の村に遊ぶ)」は、その浪人生活の中で(乾道三月)書かれたもので、田舎暮らしの気楽なさまを歌ったものだ。陸游の閑適敷腴の作風を代表する作品といえるものである。 山西の村に遊ぶ 莫笑農家臘酒渾 笑ふ莫かれ 農家臘酒の渾(にご)れるを 豊年留客足雞豚 豊年にして客を留むるに雞豚足る 山重水複疑無路 山重なり水複して 路無かきと疑ひ 柳暗花明又一村 柳は暗く花は明らかに又一村 簫鼓追随春社近 簫鼓追随して春社近く 衣冠簡朴古風存 衣冠簡朴にして古風存す 従今若許閑乗月 今より若し閑に月に乗ずるを許さば 拄杖無時夜叩門 杖を拄き時と無く夜門を叩かん 農家の濁酒を馬鹿にして笑い為さんな、今年は豊作で客をもてなす雞豚も豊か、山が重なり水が入り乱れ道がないと思っていると、柳暗く花の明るいその先には村があった 簫鼓の音が鳴り響いているのは春祭りが近いためか、村人の衣冠は簡朴にして古風な趣が残っている、もし暇な時に月に乗じてやってくることを許してもらえれば、杖を突きつつ気の向くまま夜門を叩きましょう |
HOME|陸游|次へ |
作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2009-2013 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |