漢詩と中国文化 |
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陸游の誕生 |
陸游は宋が金によって滅ぼされる前年、淮河を行く船の中で生まれた。淮南路転運副使だった父の陸宰が任期を終え、任地の寿春(安徽省)から都の開封へ向かう途中だった。 宣和七年十月一七日の朝のこと、俄に強い風雨があり、船の中にまで吹き込んでくるほどだったが、陸游が生まれると、ただちに止んだという。 この自分が生まれたときのことを、陸游は後に七一歳の誕生日を迎えた日に、詩に詠んだ。 十月十七日予生日也孤村風雨蕭然偶得二絕句予生於淮上是日平旦大風雨駭人及予墮地雨乃止(十月十七日は予の生日也、孤村風雨蕭然たり、偶たま二絕句を得たり、予は淮上に生まる、是の日平旦に大風雨ありて人を駭かす、予の地に墮つるに及んで、雨乃ち止む) 少傅奉詔朝京師 少傅詔を奉じて京師に朝す 檥船生我淮之湄 船を檥いで我を生む 淮の湄 宣和七年冬十月 宣和七年冬十月 猶是中原無事時 猶ほ是れ中原に事無かりし時 我が父が詔を奉じて都へと向かう途上、淮河のほとりに船をつないで私を生んだ、時に宣和七年冬十月のこと、まだ世の中に異変が起こる前のことであった (少傅は父親陸宰の最終官職名、京師は都のこと) 我生急雨暗淮天 我生まれしとき急雨淮天を暗くす 出沒蛟鼉浪入船 蛟鼉を出沒せしめ 浪船に入る 白首功名無尺寸 白首 功名 尺寸も無く 茅簷還聽雨聲眠 茅簷に還た雨聲を聽きつつ眠る 自分が生まれたとき驟雨が淮河の空を暗くし、蛟鼉が出没して波は船の中にまで入ってきた、あれから七〇年、白髪頭になって功名心も消え去ったいま、こうしてあばら家の中で雨の音を聞いている |
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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2009-2013 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |