漢詩と中国文化 |
HOME|ブログ本館|東京を描く|水彩画|陶淵明|英文学|仏文学|西洋哲学 | 万葉集|プロフィール|BSS |
登岳陽樓:杜甫 |
大暦3年(768)正月にキ州を去った杜甫の一家は再び船で長江を下り、江陵で数ヶ月滞在した後、その年の暮に洞庭湖北岸の岳州に到った。岳州にある岳陽樓は有名な楼で、古来さまざまな詩人によって歌われてきた。杜甫もまた先人にならってこの楼に上り、一編の詩を詠む。杜甫の晩年を飾る名作「岳陽樓に登る」だ。 杜甫の五言律詩「岳陽樓に登る」(壺齋散人訳) 昔聞洞庭水 昔聞く洞庭の水 今上岳陽樓 今上る岳陽樓 呉楚東南裂 呉楚東南に裂け 乾坤日夜浮 乾坤日夜浮ぶ 親朋無一字 親朋一字無く 老病有孤舟 老病孤舟有り 戎馬關山北 戎馬關山の北 憑軒涕泗流 軒に憑りて涕泗流る 昔は洞庭湖の豊かな水のことを聞いたものだが、いまはこうして湖辺の岳陽樓に登っている、呉楚の地は東南が裂けて、満々とした水を天地の広がりの中にたたえているのがわかる 親朋からは一字の便りもなく、老いて病気がちな身には一隻の船が頼りだ、關山の北では戎馬が駆け回り、それを嘆く余り軒に凭れて涙するばかりだ あまりに有名な詩なので、改めて解説する必要もあるまい。天地に放浪して老年を迎え、強烈な望郷の念に打たれる杜甫の姿がある。 |
前へ|HOME|杜甫|次へ |
作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2009-2011 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |