漢詩と中国文化 |
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後出塞五首其五 杜甫 |
杜甫の五言古詩「後出塞五首其五」(壺齋散人注) 我本良家子 我は本(もと)良家の子 出師亦多門 出師亦門多し 將驕益愁思 將驕りて益々愁思す 身貴不足論 身の貴きは論ずるに足らず 躍馬二十年 躍馬二十年 恐孤明主恩 明主の恩に孤(そむ)かんことを恐る 坐見幽州騎 坐ろに見る幽州の騎 長驅河洛昏 長驅して河洛昏し 中夜問道歸 中夜問道より歸れば 故裡但空村 故裡但だ空村なり 惡名幸脱兔 惡名は幸ひに脱兔せるも 窮老無兒孫 窮老にして兒孫無し 自分はちゃんとした家の生まれだが、これまであちこちの大将に仕えてきた、今の大将(安碌山)は驕慢で心配だ、生まれもまたよくない 馬を躍らせること20年、それも明主の恩に報いるためだ、ところが今幽州の騎(安碌山の軍)が、軍馬を動かして黄河・洛水も煙っている 中夜抜け出して間道を通り、故郷に戻ると、みな逃げ出して、も抜けのから、反乱軍の汚名はまぬかれたが、戦に明け暮れて兒孫を持つこともできなかった 杜甫は前出塞の中で、辺境へ駆り出され異民族との戦闘に従事する兵士たちの気持ちを、兵士の身になって描いていたが、後出塞と題するこの詩においては、安碌山軍に従う兵士の気持ちを歌っている。 自分はもともと普通の家の出であるのに、どうしたわけかこれまで傭兵暮らしにあけくれ、挙句の果ては安碌山に従う羽目になってしまった。このままでは生涯汚名を着せられるところを、幸いにして故郷へと逃げて帰ることができた。しかしその故郷は荒れ果てて、もぬけのからだ。その上自分を迎えてくれる妻子ももつことができなかったと、兵士の嘆きは深い。 |
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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2009 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |